撤退?営業開始?記念日
今日は、阪和線から221系が撤退してちょうど1年が経った日です。
それはすなわち、205系0番台8連組の撤退を意味するわけなのですが、そっちはそれほど目立ちませんね。
そして、今日は225系5000番台の営業開始日でもあるのです。
ある意味節目の今日、それぞれの"従来・撤退・その後"の一通りの流れを書き出してみようかと思い立った次第で。
221系
205系0番台8連組
12月の撤退まで運用も変わることがなかった205系0番台8連組の撤退までの一通りの流れを、手短にまとめてみました。
撤退まで
恐ろしくロングラン運用な221系*2とうって変わって、こちらの8連組は恐ろしく限定的な運用でした。
- 8連固定で、普通車運用に入れないので、編成分割をしない快速にしか入れない
- 8連固定だから、昼間の快速には輸送力過剰
上のように、運用に対する制限が強すぎたため、朝晩のみの運用で、昼間は日根野区・鳳電留で"お昼寝"してました。
また運用上、和歌山まで入ることもなく、天王寺〜日根野間の快速にしか入りませんでした。
…もっとも、乗った記憶はあっても、撮った記憶は(走っている時間の関係で)そうないんですよね。
翌年(今年ですね)3月にJR東西線・北新地駅にホームドアを設置するため、直通快速を207系に*3置き換える必要*4があり、その不足する207系の運用本数を補うため、この205系0番台8連組*5の代わりに225系5000番台を入れて捻出、阪和線からの運用撤退と相成りました。
225系5000番台投入
そして去年の12/1。前々からの準備の通り、225系5000番台が投入されました。
と言っても、完全な撤退は当日の午前中の運用*6でした。
上の写真は当日朝の快速です。
…手前の103系4両+4両の快速は今年3月に過去帳入りしましたね。
これから3ヶ月ほど、昼間の4連快速などで225系5000番台は運用されました。
上の写真は、今では懐かしい*7日中の4連快速です。